長渕剛の生い立ち母親父親幼少時代が壮絶って本当?ギターとの出会い経緯もご紹介!

長渕剛の生い立ち母親父親幼少時代が壮絶って本当?ギターとの出会い経緯もご紹介!
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長渕剛さんの生い立ちをを皆さんご存知でしょうか?

母親・父親との関係や幼少時代が貧しく壮絶だった事が想像されます。

そんな時長渕剛さんはギターと出会います。

この出会いがなければ今の長渕剛さんはなかったのではないでしょうか?

もしかしたら、誰もが見逃してしまう人生の大事な出会いを長渕さんはちゃんとつかみ取る事が出来たのかもしれません…

前話が長くなりそうなので早速参りましょう♪

今回は、長渕剛の生い立ち母親父親幼少時代が壮絶って本当?ギターとの出会い経緯もご紹介!に迫ってみたいと思います。

 

長渕剛の生い立ち母親父親幼少時代が壮絶って本当?

生はそれぞれで、やはりストーリがあるのだな~と感じます。

しかし、その経験こそが糧になって自信を大きく成長させ本当に意味での豊かな人を作り上げていくのだな

としみじみ感じます。

自分に起こっている事全てに意味があると思います。

長渕さんの出生からさかのぼって見てみる事にしましょう♪

 

ミルクの代わりが米のとぎ汁って本当?

長渕剛さんは鹿児島県に1956年父親が警察官の家庭に生まれます。

長渕剛さんの兄弟は兄がいましたが、生後すぐ亡くなってしまっていています。

長渕剛さんが生まれた時も仮死状態だったようです。

母が兄の二の舞にならないように、医者になんとか助けてもらえるようにお願いして注射を1本打ってもらい一命を取り留めます。

家族は、4畳半1間に家族4人父親・母親・長渕さんと5歳年上のお姉さんと暮らしていました。

警察官というと現在では、収入も安定している人気の職業ですが当時の公務員はあまり給料が良くなく、今の様な人気はなかった時代だったのではないかと思います。

すきま風が吹き抜ける木造モルタルの四畳半一間の長屋暮らしと言えば想像がつくと思います。

生活は貧しく、長渕さんは母は栄養不足で母乳も出なかったため、米の研ぎ汁で育てられたといいます。

現在では想像もつかいない生活だったんですね~

貧しい生活で父親と母親はお金の事で喧嘩が絶えなかったと言います。

差別や格差に満ちた環境で、どんなにがんばっても報われない現実に、やるせなさと「金」や「権力」への嫌悪感でここから抜けだいたいともがいていた幼少時代を過ごします。

この経験が人生の大きな糧となっているようです。

 

父親の自殺未遂

長渕さんが3歳の時に、母親とのいざこざが絶えない父親は思い詰めたのか首つり自殺を図ったと言います。

その現場を見てしまった長渕さんの心境ははかり知れません…

命は取り留めたものの、自身で命を絶とうとまで父は追い込まれていたのでしょうか?

お金はなくても…とよく人は言いますが、ご飯が食べれて支払うものが支払えて雨風がしのげるぐらいの収入はなくてはならない私は思います。

 

喘息で体が弱かったって本当?

出生の時も命が危なかった長渕さんは、主鬼喘息だったようですね…

発作が起きると病院によく通ったと言います。

今でこそ良い薬がありますが、長渕さんの幼い頃は大変な病気だったと思います。

小学校は、鹿児島市立中郡小学校に通っていて体育の時間も良くお休みしたようです。

それだけ体が弱かったのかもしれませんね…

鹿児島市立甲南中学校に進学して、バスケットボール部に入ります。

残念ながら選手にはなれなかったようですね…

昔は水泳の体育の授業もあったのですが、余りにも体が細く友達に笑られた苦い思い出もあるようです。

そして中学3年生の時に運命のギターとの出会いがあります。

デビューまでの経緯を見ていきましょう♪

 

長渕剛のギターとの出会い経緯もご紹介!

https://twitter.com/chikyako/status/1522468108111204352?s=20&t=sv0Kxn_0sOC6Uw4TyBLAJg

長渕さんが中学3年生の頃、3000円のギターを買った事が始まりです。

当時中学生の長渕さんにとって3000円のギターは高価な物だったに違いありません。

鹿児島南高等学校に進学し、今までのあふれる思いをギターに注ぐようになり、高校の3年間で300曲を書き上げるのです。

高校2年生の時には、大学祭の前座で初めてのステージに上がるほどになります。

高校卒業後、九州産業大学に進学しますが建前上だったと言います。

その頃、福岡のアーティストたちの登竜門だったライブ喫茶「照和」に通い始め、一躍人気歌手になります。

20歳の時にヤマハのコンテストで優勝しデビューの話が舞い込んで大学を中退して音楽の道を選びます。

当時、父親は大学中退を大反対したようです。

今とは違い学歴社会の時代だった事もあり、父は長渕さんを殴ったと言います。

父は、長渕さんの未来を案じて殴ったんですね…

そして1980年に「順子」が大ヒットとなりスターの道が開けていくのです。

 

母の病気

長渕さんが25歳になったころ、母親が末期の大腸がんと診断されます。

手術をして何とか事なきを得ます。

この時に長渕さんは下記の様に感じたようです。

  • 金で命も買えるんだな
  • 貧乏人は病気も治せないんだな

確かにお金がなければ十分な治療は出来ませんね…

お金があるという事は選択肢が増えるという事です。

治療を選ぶことも出来ますが、お金がなければ最低限の治療しか出来ませんよね?

そして母親は、その後アルツハイマーと診断されます。

癌の告知から10年闘病と介護に追われていきます。

 

介護の末の決断とは

過酷な介護生活と、ライブツアーなどで長渕さんは倒れてしまい、ツアーを中止しなくてはならない状況になってしまいます。

母親を自宅に引き取って介護しようとしましたが、長渕さんも子供が生まれた事もあり病院にお願いする決意をします。

長渕さんが介護をすることも出来たのかもしれませんが、という事は歌手として活動が出来なくなってしまうという事で、つまりは収入がなくなってしまう事につながります。

誰もが、いつか迫られる選択だと思います。

 

母の死

2000年長渕さんの母親は心不全のため亡くなってします。

72歳です。

息絶えようとする母を見て、病院のベッドに横たわる父を見て、

「生まれてよかったと 僕は初めて思いました」

「そしてこの母(ひと)が僕を生んでくれたんだなって
なぜかあたりまえのことを考えていました」

と言っています。

そんな時に書いた曲が、「コオロギの唄」だと言います。

色々な思いを歌に詰め込んでいるからこそ、その思いが人に伝わるのですね…

 

長渕剛かっこいいツイッターの声

https://twitter.com/rw9fhrMjn66s9k1/status/1522466339872735232?s=20&t=sv0Kxn_0sOC6Uw4TyBLAJg

https://twitter.com/chakai03291010/status/1522464531150422016?s=20&t=sv0Kxn_0sOC6Uw4TyBLAJg

長渕剛さん、本当にかっこいいですね~

長渕さんの生きてきた、感じてきたことが歌となって心に響きます。

やはり、光と陰で影があるほど人は光るのかもしれません。

これからも素敵な歌聞かせてください♪

 

まとめ

https://twitter.com/GR_kanoyuki_715/status/1522530100800987136?s=20&t=sv0Kxn_0sOC6Uw4TyBLAJg

長渕剛の生い立ち母親父親幼少時代が壮絶って本当?ギターとの出会い経緯もご紹介!はいかがでしたでしょうか?

長渕剛の生い立ち母親父親幼少時代が壮絶でしたが、そういう時代だったという事もあると思います。

今は幸せな時代ではないでしょうか?

長渕剛のギターとの出会い経緯も現在母親がなくなるまでご紹介して参りました。

人生にはドラマがあるなとしみじみ思います。

芸能人でも一般人でも同じです。

それでは最後まで読んで頂きありがとうございました。