藤原竜也デビュー作初舞台は何?蜷川幸雄が師匠って本当?

藤原竜也デビュー作初舞台は何?蜷川幸雄が師匠って本当?
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藤原竜也さんはドラマや映画でも活躍されていますが、舞台での活躍も目立ちますよね〜

俳優デビューは舞台がきっかけだったんですって!

デビュー作となった初舞台は、蜷川幸雄さんが演出を担当していたとか。

今となっては、藤原竜也さんと蜷川幸雄さんが親交を深めておられたということは有名です。

藤原さんにとって、蜷川さんが師匠だと言われる由縁にも迫っていきたいと思います。

今回は、「藤原竜也デビュー作初舞台は何?蜷川幸雄が師匠って本当?」と題してご紹介していきます。

それでは早速参りましょう!

 

藤原竜也のデビュー作の初舞台は何?

藤原さんは「身毒丸」の主役オーディションでグランプリを勝ち取り、鮮烈なデビューを飾りました。

藤原さんが演じられたのは、1997年です。

しかし、それ以前の1995年に武田真治さんが主演で読売演劇大賞を受賞し注目されている作品でした。

藤原さんが演じられた時には、ロンドンのバービカン劇場で上演されました。

デビュー作がいきなり海外公演なんて、すごいプレッシャーだったでしょうね〜

この時、演技経験がなかったにも関わらず、迫真の演技で絶賛されたそうです♪

天才新人と呼ばれたんですって!

ロンドンで成功を納め、翌年には、日本国内で凱旋公演されています。

2002年には、「身毒丸」ファイナル、として再々公演までされています。

多くの人を魅了する舞台だったんですね〜

 

『身毒丸』のあらすじをご紹介!

かつて確かにあった「東京」という名の町。 少年身毒丸は、幼い頃に死んだ母を恋しく思い、 その姿を求めて今日も町を彷徨っていた。 父親は、「家」とは父、母、子供があって はじめて成り立つものだという理念に乗っ取り、 母を売る店で新しい母を買うことにする。 その店にはかつて旅芸人をしていた撫子という女がいた。 身毒丸と撫子の目が合った瞬間、父が彼女を母に選んだ。 「家」という容れ物ができて、 その中に家族が入り理想の「家」が出来上がる。 しかし身毒丸は撫子のことを母とは認められず反抗的な態度をとる。 撫子は、子供に馴染んでもらえないうえ、夫には自分を女性としてではなく、 家を構成する母という役割でしか見てもらえないため、 自分の身の置き所に苦しんでいた。 撫子が家に来て半年が過ぎたが、 身毒丸の撫子に対する反抗は留まることを知らない。 追いつめられた撫子はついに、身毒丸を折檻する。 堪らず逃げ出した身毒丸は、 奇妙な仮面売りに出会う。彼のもっていた不思議な穴を使って、 亡き母のいる地下世界へ向かう。 地獄を彷徨って、やっと出会えたと思った母は、撫子だった。 そして、更に2年が経過したが、 身毒丸の気持ちは変わらず、父をも苛立たせる。 身毒丸と、自分がひとつの家にいると家は地獄になる 身毒丸の視線を恐れた撫子は身毒丸の目を潰す。 身毒丸は行方不明になる。 父、撫子、連れ子のせんさくという3人による家が成立した頃、 盲目となった身毒丸が突如かえってきてせんさくを汚す。家は崩壊し、 父は狂う。廃墟となった家で、身毒丸と撫子はついに、 男と女として互いを認め合い、未知なる地平の道行きとなる。

引用元:Wikipedia

自分のお腹を痛めて産んだ子が欲しいという想いを持ちながら、夫にはその気が無く、さらに自分に懐かない夫の連れ子と生活する母はどのような感情を持つのか。

生みの母の事を慕い、育ての母には懐かない子供が、「家」で生活していく中で、複雑な思いを募らせる。

深い物語ですね。

何回も見れば、その都度発見がありそうです!

感情を揺さ振られそうな作品です。

 

『身毒丸』を見た人の世間の声!

実際に、舞台を見に行かれた方達は、どのような感想を持たれたのでしょうか?

調べてみました!

藤原さんの演技がパワフルだった、この演技を15歳でできるとはびっくり、という声がありました。

この時、藤原さんは演技経験がありませんでした。

そして若干15歳の少年が、ここまで言わしめる演技を披露するまでには、どのような軌跡があったのでしょうか?

 

藤原竜也の師匠は蜷川幸雄って本当?

藤原さんの初舞台『身毒丸』で、演出を担当されたのが蜷川幸雄さんです。

まずは、お二人の出会いから見てみる事にしましょう♪

 

藤原竜也と蜷川幸雄の出会いとは?

池袋の街で、『身毒丸』主役オーディション募集のチラシを藤原竜也は手にします。

藤原竜也は、書類選考で落とされていたんですが、実はチラシを配っていた女性が合格書類に戻していたんです。

この女性は後に藤原竜也のマネージャーとなるのです。

話がそれました、その女性のおかげで最終選考に残り蜷川幸雄の面接と演技テストを受けて晴れて、グランプリに選ばれました。

応募総数5537名の中から選ばれたんです!

このオーディションが出会いのきっかけです。

 

蜷川幸雄の演技指導とは?

蜷川幸雄さんの演技指導は厳しかったようです。

灰皿が飛んできたこともあったようですね~

藤原さんは、何度もやめようと思ったとコメントしています。

俳優としてのキャリアのきっかけになった蜷川さんとの出会いは、藤原さんにとってすごく大きなものだったのでしょう。

演技経験がなく、一から色々と教えてくれた蜷川さんは、藤原さんにとって師匠と言ってもいいでしょう♪

お二人は、「身毒丸」の後も、「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」「ムサシ」などで共に作品を作られてきました。

 

蜷川幸雄の告別式では弔辞を読んだ?

蜷川さんが亡くなられた時、告別式の弔辞を藤原さんも読まれたそうです。

平幹二朗さん・藤原竜也さん・小栗旬さん・大竹しのぶさん・吉田鋼太郎さんで読まれたんですって。

蜷川さんが亡くなられた直後には、コメントを出すことすら出来ない程のショックを受けられていたそうです。

しかし、その4日後には、師匠の蜷川さんを送るために、弔辞を読まれました。

蜷川さんとの思い出や苦しかった想いの後に「最高の演劇人生をありがとうございました。蜷川さん、それじゃあまた。」という言葉で締めくくられました。

これまでの思い出がたくさん蘇ってきたのでしょうね。

涙の弔辞となりました。

 

まとめ

今回は、藤原竜也さんの初舞台と、師匠の蜷川幸雄さんについてご紹介しました。

いかがでしたでしょうか?

藤原竜也さんの初舞台は、鮮烈なデビューだったんですね。

師匠・蜷川幸雄さんに見出され才能を今もなお活かされています。

藤原さんと蜷川さんが出会われたことで、素敵な作品が多く世に出ました。

藤原さんのこれからのご活躍も楽しみですね♪

それでは、最後までご覧いただきましてありがとうございました!